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東京地方裁判所 昭和39年(合わ)441号 判決 1965年11月30日

主文

被告人を禁錮一年六月に処する。

未決勾留日数中二八〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、小学校を卒業した後、山形県下で工員、農事手伝いおよび大工見習などをしていたが、その後一人前の大工職人となり、昭和三一年ごろ上京してからは東京都内で大工職人として働き、昭和三九年九月ごろから東京都練馬区高松町一丁目三、七六一番地遠藤建設株式会社飯場内に妻子とともに身を寄せていたものであるが、同年一二月七日午後五時ごろ同都品川区五反田の工事現場での仕事をすませてから帰える途中、国電五反田駅附近の酒屋で清酒約一合を飲み、更に国電新宿駅附近の自動販売機で清酒約二合を飲んで、同日午後七時三〇分ごろ前記遠藤建設株式会社飯場内の居室に帰えったが、妻タツ子はすでに勤先の料理屋に夜半すぎまでの予定で出勤した後で、右居室には長男勝(当時二年)および二男利男(当時一年)がこたつに寝かされているのみであったのを見てから、同飯場隣室の佐々木圭二方で同人とともに飲酒するため、近所の酒屋から清酒一升入びん詰一本およびビール二本を購入して右佐々木方にでむいた。ところで、被告人は、かねてからいわゆる酒癖が悪く、酒に酔うと短気粗暴になり、かつ、病的銘酊となる素質があって、過度に飲酒するとしばしば病的銘酊に陥り、心神喪失の状態で、特に家庭内で家人に対し手で殴打したり、手当り次第物を投げつけたりなどする粗暴な行動におよぶ習癖があり、被告人もこれらの習癖を充分自覚していたものであるところ、当夜は前示のとおり自室には幼少の子供らのみが寝かされていたのであるから、被告人が過度に飲酒した場合には、病的銘酊に陥って右子供らに粗暴な振舞におよぶおそれがあり、かくては、保護する者もなく、避難する能力も防衛する能力もないかかる幼児らが死傷の結果を招く危険性は極めて大であって、このようなことは、容易にこれを認識することができる状況にあったのであるから、右のような場合、前示のような習癖を自覚する者は、過度の飲酒を抑制し、病的銘酊に陥って心神喪失の状態で右子供らに危害を加えるに至ることを未然に防止する義務があるのにもかかわらず、被告人は、これを著しく怠り、右のような危険について認識せず、漫然同日午後八時ごろから同日午後一〇時ごろまでの間、前記佐々木方で更に清酒五合を飲んだ重大な過失により、同日午後一〇時ごろ前記自室にもどってから、病的銘酊に陥り、同所において、すでに就寝中の幼児勝および利男に対し、「今日おれは頭へきているんだ、トシ、マサ起きろ。」などとどなり、心神喪失の状態で、同日午後一〇時過ぎごろ、勝に対し、同人の身体を手で殴打し、更に同人の手をつかんで同人を隣室との境目のベニヤ板に投げつけるなどの暴行を加え、同人に対し頭部打撲傷等の傷害を負わせ、よって、翌八日午後二時一二分ごろ、同区貫井町四一二番地丸茂外科医院において、右勝を頭部打撲による硬膜下血腫のため死亡させたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示行為は、刑法第二一一条後段、罰金等臨時措置法第二条第一項本文、第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮一年六月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数中二八〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人にこれを全部負担させない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀義次 裁判官 立原彦昭 田崎文夫)

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